金利政策とインフレ率について、まとめてみた。
ポイント1)エネルギー政策
エネルギー政策の歴史から、
第一次オイルショックが、スゴイ!!!インフレ率。
【日本のエネルギー、150年の歴史①】日本の近代エネルギー産業は、文明開化と共に産声を上げた
【日本のエネルギー、150年の歴史②】国の屋台骨として、エネルギー産業は国家の管理下に
【日本のエネルギー、150年の歴史③】エネルギー革命の時代。主役は石炭から石油へ交代し、原子力発電やLPガスも
【日本のエネルギー、150年の歴史④】2度のオイルショックを経て、エネルギー政策の見直しが進む
第一次オイルショック1973年
日本のエネルギー史 第一次オイルショック1973年前後
日本のエネルギー、150年の歴史④】2度のオイルショックを経て、エネルギー政策の見直しが進む
日本に激震が走った、第1次オイルショック(昭和48年10月~昭和49年8月)
昭和48年(1973年)の晩秋、日本全国のスーパー店頭からトイレットペーパーや洗剤が消えました。オイルショック(石油危機)の影響です。「石油供給が途絶えれば、日本は物不足になるのでは?」。そんな不安感が人々を買いだめ・買い占めに走らせ、一方で売り惜しみや便乗値上げなどをする小売店も現れました。
オイルショックはそれまでの好景気を一変させ、時代の転換点になったとともに、エネルギーの安定供給の重要さを世の中に再認識させた出来事でもあり、それ以降のエネルギー政策にも大きな影響を与えました。
第1次オイルショックのきっかけは、昭和48年10月に勃発した第4次中東戦争でした。OPECが原油の供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを行うと、国際原油価格は3カ月で約4倍に高騰したのです。これにより、石油消費国である先進国を中心に世界経済は大きく混乱。石炭から石油へと舵を切り、エネルギーの8割近くを輸入原油に頼っていた日本も例外ではありませんでした。
原油の値上がりはガソリンなどの石油関連製品の値上げに直結し、物価は瞬く間に上昇。急激なインフレはそれまで旺盛だった経済活動にブレーキをかけ、1974年度の日本経済は戦後初めてマイナス成長となりました。高度経済成長期はここに終わったのです。
その影響を数値で見てみましょう。
第1次オイルショック前5.7%だった一般消費者物価上昇率は、昭和48年には15.6%、昭和49年は20.9%と急伸。
鉱工業生産指数については、第1次オイルショック前の昭和46~48年度の平均が8.1%だったのに対して、昭和49~50年度の平均はマイナス7.2%となりました。
“ショック”の激震ぶりがうかがわれます。この激震を乗り切るべく、政府はさまざまな対策を実施。「石油節約運動」として、国民には、日曜ドライブの自粛、高速道路での低速運転、暖房の設定温度調整などを呼びかけました。ちなみに、資源エネルギー庁が当時の通商産業省内に設置されたのも、1973年のことです。
インフレ率とは
日本の金利政策
金利の推移
マイナス金利とは
日本銀行は2013年4月、黒田東彦(はるひこ)総裁の就任後初めての金融政策決定会合で、物価上昇2%をめざして「量的・質的金融緩和」を行うと決めた。金融機関などが持つ国債を日銀が大量に買って世の中に流すお金の量を2年で2倍にするなどして、物価が下がり続ける「デフレ」から抜け出すことをめざした。世の中にお金を大量に流すことで、企業や家計がお金を借りやすくし、消費が盛り上がって物価が上がる好循環を生み出そうとした。
ただ物価は、消費増税による押し上げ分をのぞくと、なかなか2%に届かなかった。
そこで日銀は16年1月、マイナス金利政策の導入を決めた。金融機関が日銀に預けるお金の一部にマイナス0・1%の金利をかけ、多くのお金を預けている金融機関は利子をとられる形になる。このため、金融機関がお金を日銀に預けずに、企業などへの貸し出しに回すよう促す効果をねらった。
こうした日銀の超低金利政策によって、住宅ローン金利も歴史的に低い水準が続いた。特にマイナス金利政策で低く抑え込まれた短期金利の影響を大きく受ける住宅ローンの「変動型金利」は、契約者獲得をめざす銀行間の競争も相まって、年0・3%前後という超低水準で推移している。
一方、マイナス金利政策は、おもに銀行間で取引される短期金利を抑え込むものだったが、その異例の政策で超長期を含む金利全般がさらに低くなった。このため、超長期の国債などに投資している年金基金の運用が難しくなったり、銀行が貸し出しで利ざやを稼ぎづらくなったりと、緩和の副作用が大きくなった。
そこで日銀は16年9月、「イールドカーブ・コントロール(YCC)」という新たな政策の枠組みを導入。金利を低く抑え込む対象に、それまでの短期金利以外に、長期金利(10年物国債の利回り)を加え、国債を買い入れることで長期金利を低く抑えた。一方で、年金運用などに関わる超長期金利については、金利の上昇を許容する姿勢に転じた。
日銀は金融緩和を粘り強く続ける姿勢を変えていないが、YCC政策の導入後は、日銀の国債の買い入れペースが鈍った。このため、日銀が長期間にわたる緩和の副作用を和らげるのに、事実上、緩和を弱めているとの見方もある。
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